2018年04月22日

順調だと思ったのになあ。。。

今朝はやけに早く目覚めた。
順調に進むかと思ったが、ダメだった。

やってられない。


今朝は5時前には起きていた。一度目が覚めたら寝つけなくなってしまったのだ。しかしこれは私にとっては悪いことではまったくない。

起きてからオンラインで映画を観た。キャメロン=ディアス主演の「SEXテープ」というやつだ。かなり面白く、所々笑いながら観ていた。

観終わった時には8時になっていた。映画一本観てまだ8時なのだ。これを順調と言わずしてなんというのか。まるで一人で過ごす休日のようだ。

と思ったのもつかの間。冒頭のように書く羽目に陥った。


posted by nasty_habit at 10:57| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

永遠の生

出来るものなら永遠の生を手に入れたい。

永遠の生を手に入れるためになら、何だってする。手に入れるまでは好きなことも我慢しよう。本を読んだりブログを書いたり、映画を観たりもやめてもいい。永遠の生が手にはいってから、それらのことは思う存分にやらせてもらうから。

けれども、現実的に考えれば、永遠の生が手に入る可能性はゼロだろう。少なくともそれが実現されるために私の出来ることは何もないといえる。せいぜい、健康に気をつけるぐらいであろう。あとは専門の科学者かだれかが不死の薬かなにかを発明してくれるのを手をこまねいて待つだけである。

そのために出来ることが何もないとしたら、そのために何かをやるべきではない。なぜならその「何か」はその目的のためには役には立たないことだからだ。

なので、今後、「永遠の生はどうすれば手に入るか」はもとより、「永遠の生があったらいいのになぁ」などということも考えるのはやめよう。 

人生の意味を考えるときに、このような現実的ではないことを考えるのは無意味である、ような気がする。
posted by nasty_habit at 09:30| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月21日

DECADE

1979年から1980年に移るときはなんとなく騒ぎになったような記憶がある。60年代から70年になるときは、たぶんまだ子供だったので記憶がないのだろう。80年になるときも子供といえば子供なんだけど、もうすっかり物心はついていた。
80年代から90年代へ移るときのこともまったく記憶にはない。それどころではなかったのかな。2度目、3度目だからもう飽きたということだったのかもしれない。
1999年から2000年は、これはもうミレニアムとかなんとかいって、それはもう大騒ぎだった。

1から数えると、10までで一区切りという感じが確かにする。で、11から20がまた一区切り。100まではこの調子で数えて違和感はまったくないように思える。で、次の10年は101年からスタートする。なんの問題もない。
それがどこでどうなったのか、1979で一区切りという感じになり、1980から新しい10年みたいな感じになっている。1999から2000もそうだ。とくに、ミレニアムとかなんとかいうのだったら本来は2001からのはずである。

どこでどうなったのか。

posted by nasty_habit at 21:51| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あれから

前の記事を書いてから何分たった?
わずかだけの時間でしょ、きっと。

それでもうこの騒ぎだ。

やってられない。

俺は外の道路工事のことをいっているのではない。そんなものは無視していればすむ話だ。書くことや本を読むことや考えることに集中してさえいればどうにでもなる。

が、いま俺が問題にしている騒ぎは、無視したらなおさら五月蝿くなる。何度でも言う。やってられない。

posted by nasty_habit at 12:16| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『闇よ、我が手を取りたまえ』デニス=レヘイン著

デニス=レヘインでもデニス=ルヘインでもいいらしい。
それはともかく。

この本を読んでいたらこんな記述があった。

「この世には、ケヴィン・ハーリイや、太っちょフレディ・コンスタンティンや、今朝の新聞で読んだ、三人の子供をネズミだらけのアパートに置き去りにして、新しいボーイフレンドと楽しい四日間の旅行に出かけた母親のような人間があふれている。」

これはこの小説の主人公、私立探偵のパトリック=ケンジーの独白の部分である。

人は自分の経験を過大評価する。パトリックはこのような人間を多く見てきたのだろう。だからこのような人間があふれていると思っている。

だが事実はどうだろうか。そんな人間があふれているだろうか?もちろんそんな人間はいるにはいるのだ、少なからず。しかし、どう見ても「あふれている」と言われるほど多くはないと思う。彼が自分の経験に基づいて「あふれている」というのなら、わたしも自分の経験に基づいて「それほど多くはない」という。

善良な人々100人が築き上げたものをたった一人の悪人が、たった一つの悪行が叩き潰すということは事実であろう。だが数的には、この世の中には悪人や悪行よりもはるかに、善人や善行のほうがあふれているのである。


posted by nasty_habit at 11:07| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする