2012年07月18日

after fiveの魔力

ちょっとしたつまみを食べ、二本目の缶ビールを飲みほす

我が起爆剤の、矢沢のDVDはまだ数曲目だ。

三缶目が空なことに気づく。

ふと時計を見ると、まだ19時15分だ。

夜はまだまだこれからだ。

この感覚は久しぶりだ。

このブログも、久しぶりだ。
posted by nasty_habit at 19:23| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

「私」

それはただ一つきりで生きている。それ以外には何もそこにはいない。生きているものはそれひとつきりである。

それは「他」という概念も持ってはいない。たとえそれが言語を発しようとも、そこには「私」という言葉は生じないだろう。

posted by nasty_habit at 02:43| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

不安の克服

日常の不安の中でわれわれはどうすべきなのか。

自己欺瞞的であれば、あえて不安から目をそむけて生きることもできるのであるが、そうではなく、この不安をしっかりと見据え、なおかつこの不安を克服することができないであろうか。

この不安を無くすることはできない。これはわれわれが自由であるかぎり引き受けねばならぬ不安なのであるから。

しかし、それゆえにこそ逆に、いわゆる「主体的な真理」を確立することができ、このことによってのみ、かかる不安を抱きながらも、否、抱いているからこそ、この不安を克服することができるのである。
posted by nasty_habit at 02:35| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

自由と不安

人生は不断の選択の連続である。

その選択の正しさを保証するものは何もない。

そもそも何を正しいとするのかもわれわれの選択の問題である。

このこと故にわれわれは自由なのである。そしてまたこのこと故に、つまり、われわれの選択の正しさを保証するものは何もないということの為に、われわれは不安になるのである。

いいかえれば、われわれは自由であるがゆえに不安を感じるのである。さらにいいかえれば、この不安を見据え、かつ受けとめることのできるものだけが、自由な人間、つまり、真の人間といえるのである。

わたしのこの断言もまたその正しさを保証するものは何ももってはいない。このことゆえに、わたしはここで不安を感じるのである。
posted by nasty_habit at 23:46| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

選択

人間は、常に行動の選択を迫られている存在である。
自分の行動が世界を創るのだという信念においてのみ、人は自由であることを実感できる。

自己のその都度の選択によって世界を創っていっているのだということをいったん認めるならば、世界で起こっている出来事のすべては、自己の責任であることもまた認めねばならない。それがいわば自由であることの責任である。

総ては自己の選択の結果である。

それゆえにこそ、いかなる状況においても、その状況を変えうる行動の選択の決断を、われわれは為しうることができるのである。
posted by nasty_habit at 22:20| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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