2008年11月21日

睡魔を吹き飛ばすほど、思考に集中せよ!

電車の中で坐りながら本を読んでいると、
手から本が落ちそうになってはっと気づく。
気を取り直し、文字を追う。……

うとうと。かくん。はっ!


結局、

数ページしか読めなかった。

この二日ほど、そんな感じだ。

まだまだだな、と思う。

集中力が足りないのだ。

本を読むのにもものを考えるのにも修行がいる。
posted by nasty_habit at 00:11| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

反省

昨日書いた内容(といっても、たいしたことは書いていないのだが)にいたく不満である。

「真理とは何か」

この問は馬鹿げている。

ある命題が真理かどうか問うことには意味があるし、問うべきはそれであって、けっして「真理とは何か」といったことではないのだ。

posted by nasty_habit at 21:25| 兵庫 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

冷え込み

今日は寒かった。

耐えられる程度だからいいけど。

すべてが凍りつくような氷河期がきたら人類絶滅だな。

だが時間はまだたっぷりとある。

やるべきことを見失わないことだ。
posted by nasty_habit at 23:09| 兵庫 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

ばら色の世界

滅入っているときや、何かに悩んでいるとき、世界は灰色に見える。逆に、ことがスムーズに進んでいるときなどは、ばら色に見える。

どちらの経験が本物なのだろうか。

どちらか一方しか経験していないという人はいないはずだ。

ということは、世界は灰色だとみなす理由はないということになる。同等の権利を持って、世界はばら色だといいえるはずである。

ここから、さらに思い切って、ばら色の世界のほうが本当であって、灰色の世界は、まやかしの経験だというべきではないだろうか?

いや、違う。どちらも経験しているのだから、どちらかが本物の世界の姿であると決める決定的な根拠はないのではないか。

ならばむしろ、世界の「本当の姿」を決定するのは、その人の心的態度なのだ、というべきではあるまいか。

つまりはこういうことだ。

世界をばら色にするも灰色にするも、すべてあなた次第なのだ。
posted by nasty_habit at 23:59| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

本末転倒


「ギネス世界記録の日」って、
こんな日があったんだ。

でも、なんなんでしょうか、この「下着で世界最多集合人数」って。

こんなので世界一になっても……と思うのだが。

一分間にキスした回数とか……。

よくわからん。

何か好きなことをやって、

その結果、世界一になりましたってのなら話はわかるが、

「世界一」といってもこれでは本末転倒ではなかろうか?
posted by nasty_habit at 23:47| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

理性とは無縁の情熱

ジョセフ=マーフィーという人がどういう人であったか、わたしはよく知らないのだが、その肯定的な言葉が気にって、「マーフィーの言葉」みたいなブログパーツを貼り付けていたりなんかする。

もともとわたし自身にそういう気質があるからであろう、マーフィーの言葉を「なに能天気なことをいってるんだ!?」なんてことを思うこともなく、まるで自分の言葉のように味わったりなんかしている。

たとえばこんな言葉がある。

「現実の自分よりも理想の自分を愛しなさい。そして理想の自分で他人と接するべきです。これが他人から評価される秘訣です」

他人からの評価を気にするかどうかはともかく、理想の自分を思い描き、そのように行動することで理想の自分を創りあげるということは、自己実現の第一歩ではなかろうか。

「そのように行動する」と口で言うのは簡単だが、実行するのはけっこう難しいというところがミソである。口で言うほど簡単なことなら世の中「成功者」ばかりだろう。

必要なのは、自分をコントロールすることである。

その原動力は

燃え上がる「願望」と

「理性とは無縁の情熱」である。

posted by nasty_habit at 22:22| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月10日

限界などない、あるのは限界を口にしている自分だけだ

このタイトル、俺の言葉ではない。

中学の頃に読んだ本の中の言葉である。

また、こんな言葉もあった。

才能などというちっぽけなものにしがみつくな

さらに

ハンディ?そんなものは糧として生きるためにある



苦しみに耐えるのは当たり前だし、逆境が苦しいのも当然のこと、人に言えぬ悩みなど当時もあっただろうが、そんなときに心を奮い立たせてくれた言葉であった。

今では読み返すこともなくなった本だが、いまの俺を形成した本の一冊であるに違いない。
posted by nasty_habit at 07:55| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

書くことは創ることであって魂を保持しなければいけない

音楽プロデューサーの小室哲哉氏が詐欺容疑で逮捕されるとの報道がある。(先ほどたまたまネットで目にしただけで、もう逮捕されているのかもしれない)

事件そのものには関心はない。

わたしの関心を惹いたのは、氏が自分の楽曲の著作権をレコード会社などに譲渡していたということである。

ビジネスとして、売れるものをそれに見合う価格で売ることは問題はない。じっさい音楽も、CDといった形で販売されている。問題だと思うのは、譲渡されたのは「著作権」だということだ。

ものを創る人間として、著作権を人に売り渡すことがなぜできるのか。著作権というものは、自分の生み出した作品を守るためのものであって、将来それを高額で他人に売り渡すためにあるのではない。ものを創る人間として、命を賭してでも守るべきものが「著作権」ではないか。

小室氏は、詐欺という日常的な犯罪で堕ちたのではなく、ものを創る人間として、著作権を人に譲渡するという行為によって、堕落したのだ。

堕落というより、地がでたというべきなのかもしれない。もともと小室氏の創るものには、売れることしか考えていないような姿勢を感じていたので、わたしの描いているような「芸術家」のイメージとはそぐわない。

もちろん金を稼ぐことが悪いのではまったくない。金に魂まで売るかどうかが問題なのである。ものを創る人間として著作権を譲渡することは魂を売ることである。そしてただ「売れる」ということだけを念頭においてものを創ることもまた金に魂を売り渡しているようなものである。

金を稼ぐことに関しては小室氏より遥か上をいく音楽家矢沢永吉氏はかってこんなことを言ったらしい。洋楽ロックファンが氏の音楽を「ダサい」と評していることについてである。

「他人からダサいといわれようが、自分の内面からでてくる音楽以外はやりたくない」

こういうポリシーがあるからこそ、金持ちになってもかっこいいのである。

そういった意味でわたしも、アクセス数を増やしたいという気持ちはあるものの、自分の本当に書きたいものや自分の内面からでてくるものや己の血をもって書かれるもの以外のことは書いていないし今後も書くつもりは、ない。
posted by nasty_habit at 08:02| 兵庫 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

自足

シノペのディオゲネスは「自足して生きよ」という。

自足とは、自分で自分をコントロールすることをいう。己だけを自分の支配者とするのだ。他の何者にも、環境とかもろもろのものに支配されるなということだ。


最近、禁酒が続いている。

べつに体のことを気遣っているわけではない。節約のためだ。節約していると自分がストイックになったようで、楽しい。いままではもっぱら酒と本にしかお金を使うということがなかったのだがそうはいかなくなった。デート代を確保せねばならない。デートのことを考えるとストイックさが消え、エピキュリアン気分に浸り、これもまた楽しい。

飲まなくなったメリットはしかし、お金が減らないという以外まったくない。体調が良くなったということもない(もともと良かった)。二日酔いはなくなったがこれはべつにメリットとはいえまい。もちろんお金を減らさないのが目的だったのでそれ以外のメリットがなくとも何の問題もない。

しかし。


書けなくなった。


考えてみずとも、いままで書いているときは常に酔っぱらっていた。「一斗、詩百篇」のごとく、飲めばいくらでも書けた。最高だ。

さて、人は自分をコントロールせねばいけない。環境に頼ってはいけない。酔っていないから書けない、では話にならない。

酔っていないからこそ、意志を振るいたたし、飲んでいない自分に鞭を入れ、書き始めようじゃないか。こうなると、まるで自己鍛錬しているようで、楽しい。

「自足」とは、自分を支配することをいう。支配者はもちろん自分自身だ。酒がわたしに書かせるのではなく、わたしがわたしに書かせるのだ。


どうだい、出来るだろ?



祝福の美酒を、だれかおごってくれないか?
posted by nasty_habit at 05:34| 兵庫 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月18日

過去は未来に影響するか

過去の出来事が、いまわたしが覚えていることも忘れてしまったこともすべて含めて、現在のわたしを作りだしている。

わたしは過去から逃れることはできないのだろうか。

しかし、明日のわたしに一番影響を与えるのは、今日のわたしなのである。

今日のわたし次第では、ある意味で、過去を断ち切ることが出来るのである。昨日までのわたしが、未来のわたしを決定的なものにしているわけではない。

今日という日は、あらたな自分を創りあげる第一歩なのだ。
posted by nasty_habit at 01:42| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。