2018年05月06日

ジョージ=エドワード=ムーア

わたしが持っているムーアの著作。「Principia Ethica」「Some Main Problems of Philosophy」「Philosophical Studies」「Philosophical Papers」「倫理学」。ほぼすべてといっていいくらい持っている。お気に入りの哲学者なのである。ムーアの分析的方法がわたしにぴったりくるのかもしれない。毎日少しずつ読み込んでいきたいと思う。
posted by nasty_habit at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日

松本清張を読み返す「犯罪広告」

「犯罪広告」(『黒の様式』新潮文庫)。

「阿夫里の町は、南紀の端、熊野灘に面している。」
「四月のある日、町の重立った人びとの家に一枚の活版刷りの広告が投げ込まれた。」

その広告は、ある男の犯罪を告発する内容であった。その犯罪はすでに時効を迎えており、警察へいっても取り合ってもらえなかったため、このような「広告」で告発する手段に出たわけである。

告発した男は末永甚吉といい、告発されたのは池浦源作という。甚吉の「広告」はこのように書く。

「池浦源作は、二十年前まで私の義父でありました。そのかつての義父を殺人の疑いで告発するのは、源作が私の実母末永セイを殺害したと信じるからであります。」
このように幕を開ける物語。スリリングな展開で最後まで一気に読ませる。一つだけ不満があるがそれはここには書かないでおこう。

posted by nasty_habit at 06:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

嘆き節

寝不足で、頭が痛い。不整脈なので、「なので」かどうかはわからないのだけれど、とにかく、寝不足になると心臓のあたりが苦しくなる。

私見によれば、これはまだ俺が寝ているときに話しかけられたからである。話しかけられたから思わず答えてしまったのだ。俺には理解できないのだが、このときの俺の答えがお気に召さなかったようだ。まだ半分以上寝ぼけている俺に向かって雷が落ちてきたかのように喋り出す。それを遮ろうとする俺。なにしろ俺はまだ寝ていたかったのだ。。。。。。だがそのままの状態で、無情にも時間は過ぎていく。起きる時間になってしまった。自分の責任ではないことで予定を変えるのが不本意な俺は、いまこうして起きているのだ。

これまた俺には理解できないのだが、こういったことすべてが俺のせいになっているのだ。

俺の言いたいことはこうである。

俺のことは一人にしておいてくれ。

posted by nasty_habit at 07:18| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

I KNOW WHAT YOU NEED by STEPHEN KING

スティーヴン=キングの「I KNOW WHAT YOU NEED」を読んだ。ずぶん昔に買ったペーパーバック『Night Shift』、読んだかどうかの記憶もないが、その中の一編で、読んでいなかったとしか思えないほど内容は覚えていなかったので、きっと読んでいないのだろう。読んでいたとしても読んでいないのと同じことだ。初めて読む感じで読んだ。面白かった。ストーカーが忍び寄ってくる恐怖と書くと、おそらく誤解を招くだろう。

18〜20歳の頃、英語の勉強を始めた。たぶん30歳を越える頃までは続けていたと思う。ほとんど上達はしなかったが。なにしろ、その頃は英文雑誌から英字新聞、ペーパーバックなどをよく読んでいた。キングもその頃に読んでいた。上記の本もその頃に買ったものだ。ずいぶん前だな。

ここ数年、キングをチョコチョコ読み返しているのだが、今更ながらだが、はまりそうだ。ブックオフへ行こう。
posted by nasty_habit at 06:00| 東京 ☁| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

松本清張を読み返す「殺意」

「殺意」(『顔』双葉文庫)。

『随筆黒い手帖』のなかで松本清張は氏自身の「創作ノート」を公開している。そのなかに次のような記述がある。

X月X日
『徒然草』七十一段。
又如何なるをりぞ、ただいま人の云ふ事も、目にみゆる物も、わが心のうちも、かかる事のいつぞや有りしがとおぼえて、いつとはおもひ出でねども、まさしく有りし心ちのするは、我ばかりかく思ふにや。
*この錯覚心理がおもしろく、この文句をしばしば借用した。

「殺意」にはこの文句が引用されている。

犯罪の動機を大切にする清張らしい短篇推理小説である。
posted by nasty_habit at 01:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月02日

哲学的問題とは何か

哲学的問題とは何か?そんなことは哲学の入門書とか哲学論文のタイトルをざっとみればわかる。

☆野矢茂樹『哲学の謎』目次

*意識・実在・他者
*記憶と過去
*時の流れ
*私的体験
*経験と知
*規範の生成
*意味の在りか
*行為と意志
*自由


☆アール=コニー&セオドア=サイダー『形而上学レッスン』目次

*人の同一性
*宿命論
*時間
*神
*何かがあるのはどうしてか
*自由意志と決定論
*物体の構成
*普遍者
*必然性・可能性
*形而上学とは何か


☆青山拓央『分析哲学講義』目次

*分析哲学とは何か
*意味はどこにあるのか
*名前と述語
*文脈原理と全体論
*意味はどこに行ったか
*二つの自然と、意味の貨幣
*可能世界と形而上学
*心の哲学の眺望
*時間と自由


☆ドナルド=デイヴィドソン『主観的、間主観的、客観的』目次

*第一人称の権威
*自分自身の心を知ること
*主観的なものの神話
*心に現前するものは何か
*不確定性の主張と反実在論
*自己の概念の還元不可能性
*合理的動物
*第二人称
*思考の出現
*真理と知識の斉合説
*経験的内容
*認識論と真理
*認識論の外部化三種類の知識


きりがない。

どの題を見ても面白そうだ。
posted by nasty_habit at 08:51| 東京 ☁| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

自殺機器

オーストラリアの104歳の科学者が自殺するためにスイスへ行くらしい。

生活の質が低下しており、「こんな年に達してしまい、残念でならない」とのことだ。たかだか104歳まで生きただけでこんな発言になってしまうのか。わたしのように300年は生きようと思っている人間はどうなるのか。

ここで問題となるのは、「生活の質」ということだろう。いや、きっとそうだ。そうだとしか考えられない。

生活の質さえ低下しなければ何の問題もないはずだ。この人の場合、科学者なので、生活の質が低下さえしていなければ、どんどん研究ができるはずだからだ。おそらくこの人の生活の質というのは「頭脳」に関係するものだろう。記憶力とか思考能力とかに衰えを感じたのかもしれない。

だが、スイスまで行って、自殺機器によって死のうと思うのは、とてもボケた老人の考えには思えない。だいたいボケた老人は死のうとは思わないのではないか。わたしにはとてもこのデービッド=グドール氏がボケているようには思われない。

ご本人が死にたいのであれば、もちろんわたしは何も言うことはない。

わたしが心配なのは、わたしが300歳まで生きられるかどうかと、その年齢まで生活の質を落とさずに生きられるかどうかということである。現実問題として、いまより生活の質が落ちれば、おそらくは生きてはいけないと思われるからだ。それほど今の生活の質は低いのだ。なんとかならないものか。

posted by nasty_habit at 09:48| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

夢の話

あれは夢だったのだ。

僕は6時に家を出た。いつものように駅前のファミレスでモーニングのAセットを注文した。セルフサービスのコーヒーを淹れ、鞄から文庫本の小説を取りだし読み始めた。顔見知りのウェイトレスが注文の品を運んできた。
「おはようございます。今日は何を読んでるの?」ウェイトレスが声をかけてきた・・・。

そこで目が覚めた。

顔見知りのウェイトレスなんていないし、まして、あんなふうに声をかけてくるウェイトレスなんていない。その時点でいつもとは違うのだから、夢だと気づいてもよさそうなものだったが、夢の中ではそんなことには思い至らなかったようだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、出勤の支度をした。

午前6時。僕は家を出た。駅前のファミレスに入った。いつもと同じものをオーダーした。セルフサービスのコーヒーを淹れた。テーブルに置いてあった新聞をひろげて読み始めた。ウェイトレスが食事を運んできた。それは僕が頼んだのとは別のメニューだった・・・。

そこで目が覚めた。・・・

posted by nasty_habit at 10:59| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

松本清張を読み返す「顔」

「顔」(『顔』双葉文庫)。この短編は様々な短編集に収録されており、また、映画かドラマなどにもなり、けっこう有名な作品。

この小説はまだ「点と線」「目の壁」など、いわゆる「社会派ミステリーブーム」が起こる前に書かれている。つまり、清張推理小説の原点ともいうべき小説だということだ。ただ清張のデビュー作である「西郷札」においてもすでに推理小説の萌芽はあるともいわれている。しかしこれは後に推理小説を書くようになったからそういわれる面が多分にある。

ただこの小説は、厳密にいえば「推理小説」ではない。ほぼ推理はでてこない。犯罪者の心理を描いた小説といえるだろう。それがサスペンス感を醸し出している。好きな作品の一つである。
posted by nasty_habit at 09:58| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

松本清張を読み返す「二つの声」「弱気の虫」

半年ほど前に「二つの声」「弱気の虫」(『弱気の虫』文春文庫)を読んだ。半年ほど前なので、というべか、半年ほど前なのに、というべきかわからないが、まだ記憶に残っている。

昨日言及した『黒の様式』(新潮文庫)だが、もともとこの『黒の様式』は、週刊朝日に1967年から一年以上にわたって連載されたものである。「黒の様式」という一本の小説ではなく、連作ものである。それが、「歯止め」「犯罪広告」「微笑の儀式」「二つの声」「弱気の虫」「内海の輪」である。昨日からの『黒の様式』つながりで半年ほど前に読んだ作品を思い出したというわけである。

記憶のままに書けば、「二つの声」は、野鳥の鳴き声を聞いて俳句を創ろうという俳句サークルの男たちが、野鳥の声を録音するための装置を仕掛ける。録音されたテープを聴くと、野鳥の鳴き声に混じって男女の話し声が入っていた。そしてその付近から女性の死体が発見される。その女性は男たちの共通の知人だった・・・。

「弱気の虫」は、ある役所の課長補佐の男が麻雀という賭事に嵌まっていくという話。雀荘の奥さんが殺された現場で、麻雀仲間の男と鉢合わせになる・・・。



posted by nasty_habit at 18:50| 東京 ☀| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする