2008年11月24日

スティーヴン=ジェイ=グールドの『フルハウス』によせて





野球に詳しくない方々にはよくわからないかもしれないが、打率4割というのは夢のような数字なのである。野球に詳しくない人でもイチロー選手の名前は聞いたことがあるかもしれない。とてつもなく夢のような数字を残している選手だが(シーズンで200本以上のヒットを打つという、とてつもないことを何年も連続で達成している)、そのイチロー選手でも実現がいまだできていないのが打率4割なのである。

だが実は4割打者は野球史上皆無というわけではない。1941年にメジャーリーグのテッド=ウィリアムスという選手が最後の4割の記録を達成したのを含め、8人の選手がいる。

なぜ現在4割打者が「絶滅」したか。その問題に挑んだのがスティーヴン=ジェイ=グールド『フルハウス 生命の全容 4割打者の絶滅と進化の逆説』である。

この本を読めば進化と進歩の違いが、すなわち、「進化とは進歩ではない」ということがよくわかる。

この本の主題については、興味のある方は実際に本書を読んでいただくとして、今日、わたしがこの本をこのブログで取り上げたのは、この本の中のわずか一ページに書かれている、わたしが完全に同意できる一節と、完全には同意できぬ一節と、そして同意すべき一節のためである。

まずは同意できる一節から。

心の平穏と不屈の精神がもたらしうる効果に関して、私は神秘的な観念などいっさい抱いていない。現時点ではわかっていないが、いずれ科学的に説明できる(そしておそらく思考や感情の生化学的反応が免疫システムにフィードバックする機構を中心に解明される)日が来ることを、私は確信している。


物事を肯定的にとらえるということが、つまりそれ自体「観念」の話なのだが、観念というものが、「気のせい」などではなく実際に身体に物理的な影響を与えうるということをわたしは信じているのである。そしてそのことはグールドが言うように、いずれ科学的に説明できるであろう。

つづいて完全には同意できぬ一節へと進む。

人の個性というものは何年もかけて苦悩の末に築かれるものである。しかも、有効利用の道があるからといって瞬時にがらりと変えられるものでもない。心には「前向きの態度」と書かれたボタンがあって、ただそれを押しさえすれば、苦痛も何もなしにただちに前向きの態度が発動するわけではないのだ。


「人の個性」が「何年もかけて苦悩の末に築かれる」のは確かだろうし、それゆえに「瞬時にがらりと変えられるものでもない」というのもまったくそのとおりだと思う。だがわたしは「心には『前向き』とかかれたボタン」があると思っている。ただしそのボタンは一度押したらおしまいというものではない。何度も押さねばならないし、押し続けねばならないのである。注意を怠っていると知らぬ間にオフになっているボタンなのだ。ことあるごとに押さねばならぬボタンなのである。それは「苦痛も何もなしに」といったことではないのだ。むしろそのボタンを押し続けることは苦痛であるかもしれない。だが、そうすることによって、「何年もかけて苦悩の末に」前向きの個性を築きあげるものではないだろうか。

最後に、われわれが同意すべき一節に移る。

人生で遭遇した招かれざる出来事を乗り切るには不利な性格だとしても、長年つちかってきた考え方や性格をその理由で責めることなどできるだろうか。恐怖と絶望のうちに癌で死んだ人がいたとしたら、その人が味わった苦痛には同情の涙を流し、その人の人生を祝福しようではないか。


グールドがここにこう書けたのは、まさしくグールドが肯定の人であったからにほかならない。そう、人を責めるということは、肯定的な人間のするべきことではない。だから、「恐怖と絶望のうちに」死に逝く人々を責めるべきではない。むろん、われわれのすべきことは、彼らを救えなかった自分を責めることでもない。必要なのは、同情の涙と、祝福なのである。

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2008年09月16日

イージーな入門書

「90分でわかる○○」というシリーズがある。○○には哲学者の名前が入る。カントやウィトゲンシュタイン、プラトン、ニーチェなどだ。

カントやウィトゲンシュタイン、プラトン、ニーチェなどを「90分」でわかるわけがない。

端的に言って、この書名は詐欺である。が、詐欺でも重要な有効性がある。どのような有効性か?「90分でわかるキルケゴール」よりサルトルに言及した部分を引用する。

サルトルは1940年にフランス軍に従軍したさい、感じたという。第二次世界大戦はすべて自分に責任がある、と。

なんという崇高な自己中心主義であろうか!(サルトルは本当の知識人だったのだろう。そうでなければ、こんなことをいえるはずがない)

このような自己中心主義を抱けば、心を鼓舞し、道徳的意識を高めることはできるかもしれない。だが、世界と向き合って何か行動するときに、そんなものが役に立つとは思えない。

けれども、キルケゴールの求めていたことは、まさに心を鼓舞することだった。


手軽に読める本でも、心を鼓舞することに役立つなら、読んでも悪くない。「90分でわかる○○」なんて反吐がでるようなタイトルだが、それでも心が鼓舞されるなら、捨てたものでは、ない。
posted by nasty_habit at 11:19| 兵庫 ☔| Comment(1) | TrackBack(3) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

読書家

『グレン・グールド発言集』より。
私がモーツァルトの音楽に対してやっていることに彼自身は賛成しなかったに違いないと思うことがよくあります。演奏家は、たとえ盲目的であれ、自分が正しいことをしているのだという信念を持たなくてはなりません

演奏家だけでなく、読書家もまた同じことである。ある本の作者の意図、メッセージ、そんなものとは関係なく、読書家は「盲目的であれ、自分が正しいことをしているのだという信念を持たなくては」ならないのだ。

いいかえれば、自分独自の解釈を持つべきだということ、そしてその解釈を正しいと信じること。

読書家とはそうあるべきである。
posted by nasty_habit at 22:27| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月18日

グールド関連書籍




自分の意志でクラシックを聴こうと初めて思ったのは高校の頃だった。何枚かLPを友人から借りた。その中に「幻想交響曲」があって、それはかなり印象に残っている。いまでも好きな曲のひとつである。が、その後はそれほどクラシックを聴くことはなかった。

再びクラシックを聴いたのが、グールドの弾くモーツァルトのピアノソナタだった。その時はまだグールドは知らない。モーツァルトは有名でもちろん知っていた。だからモーツァルトだった。グールドのモーツァルトが「異端」だということを知ったのはもっと後だった。とにかくモーツァルトは良いと思った。



そんなわけだったので、その後短期間の間にモーツァルトの交響曲なんかをかなり聴きこんだりしていた。クラシックに耳が慣れてくると、以前聴いてなんとも思わなかったベートーベンとかの良さもわかってくるようになってきた。

そうこうするうちに、例の『ゴールドベルグ変奏曲』に出会ったのだった。それ以来、グールド三昧の日々が続いた。CDだけではなく、関連書籍も多かったので、目につくものは買って読んだ。



ここに紹介した本は、どれも最近購入したものだ。てか、『演奏術』は2000年だから最近とはいえないが、『神秘の探訪』はつい先日に買ってまだ読んではいない。

グールドのピアノを聴きながらこれらの本を読むことは、わたしにとって至高のひと時である。
posted by nasty_habit at 23:46| 兵庫 | Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

グスタフ・マーラー

私はマーラーの研究を三十年つづけてきた。

アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ著「グスタフ・マーラー」より。

氏のマーラーに対する情熱と、マーラー自身が持っていた情熱とが感じられる一冊である。

マーラーを聴くことによって、この本を読むことによって、さらに自分の心を鼓舞していく。

グスタフ・マーラー
アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ著 / 船山 隆訳 / 井上 さつき訳
草思社 (1993.9)
通常2-3日以内に発送します。


posted by nasty_habit at 21:57| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

最近買った本たち

さまざまなジャンルにわたっています。

ペニスの文化史
マルク・ボナール著 / ミシェル・シューマン著 / 藤田 真利子訳
作品社 (2001.8)
通常24時間以内に発送します。


ウーマンウォッチング
デズモンド・モリス著 / 常盤 新平訳
小学館 (2007.3)
通常24時間以内に発送します。


信長と天皇
信長と天皇
posted with 簡単リンクくん at 2007. 6. 3
今谷 明〔著〕
講談社 (2002.9)
通常2-3日以内に発送します。


グールドのシェーンベルク
グレン・グールド著 / ギレーヌ・ゲルタン編 / 鈴木 圭介訳
筑摩書房 (2007.3)
通常24時間以内に発送します。


主観的、間主観的、客観的
ドナルド・デイヴィドソン著 / 清塚 邦彦訳 / 柏端 達也訳 / 篠原 成彦訳
春秋社 (2007.4)
通常24時間以内に発送します。


文字講話 1
文字講話 1
posted with 簡単リンクくん at 2007. 6. 3
白川 静著
平凡社 (2002.9)
通常24時間以内に発送します。


人生気のせい人のせい
土屋 賢二著 / 三浦 勇夫著
PHP研究所 (2007.6)
通常24時間以内に発送します。


posted by nasty_habit at 15:43| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

読書について

ショーペンハウアー『読書について』より引用する。
 
 
読書は、他人にものを考えてもらうことである。
 
 
 
絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。
 
 
 
紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。
 
 
 
本日のブログ、人の書いたものの引用で済ませてしまった。手抜きである。ゴメン。
 
 
posted by nasty_habit at 01:55| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

趣味としての読書と、もっと深刻な読書

いまだに、本の読み方一つで試行錯誤している。
 
ここ数日、通勤の電車の中で、『オースティン哲学論文集』という本を読んでいるのだが、哲学書だけあって、一読しただけではなかなか理解できない。もっとじっくり考えながら読まなければ、と思う。電車の中でも集中して読むことはできるので、べつにそれでいいような気もするが、やはり自室で腰を落ち着けて読むべきだというふうに思ったりもする。
 
電車の中で読むのはもっと軽い読み物、小説とか、それほど難しくないノンフィクションとかにしたほうがいいんではないかと考える。が、そうすると、どうしても読みたいという本以外は読みたくないので、なかなか手ごろな本が見つからない。いま読みたいのは哲学書なのだから。
 
いやいや、ちょっと待て。哲学書が読みたいというのは本当か。そもそも哲学書とは読むものなのか。哲学書というのは、読むものではなく、それを基にして、自分の全人生や、自分の抱えている不安や悩み、そういったものについて、真剣に考えるためのものではないのか。いわば、一冊の哲学書とともに人生を歩むといったところか。
 
読書というにはあまりに深刻な行為である。
 
が、もちろん、どのような読み方を使用が個人の自由なのだから、電車の中では、軽い読み物を読む調子で哲学書を読んだってかまわないではないか。
 
要するに、どのような読み方をするのも、わたしの勝手だということだ。
 
こんなありきたりの、常識的な答えを出すのに、なにわたしはウダウダと考え込んでしまうのか。
 
結論が出たようだが、明日になれば、また同じことでわたしは悩んでしまうに違いない。たかだか読書なのに。
 
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タグ:哲学書 読書
posted by nasty_habit at 23:18| 兵庫 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

読書について

以前はよく本を読んだものです。神戸市内の西端から大阪まで通勤していましたからね、電車の中でよく読めたのです。片道でも一時間ちょっとかかってましたから。わざと普通電車に乗って座席に座って。ゆったりとしたわたしの書斎でした。二日か三日に一冊の割で読んでいましたね。年間で言えば百数十冊から二百冊ぐらいは読んでいたと思います。そんな生活が十年以上はありましたからね。ちょっとした読書家ではあったと思います。

今ではすっかり読まなくなりました。読んではいるんですが、とてもじゃないですが三日に一冊とかは無理です。あの頃と同じ一日二十四時間なのになぜでしょうかねぇ。

確かにあの頃みたいな読書欲はありません。本を読むこと自体にそれほどの価値はないってことに気づいたからでしょう。

本の購買意欲も減ってきました。それでも月に二、三万は使っているみたいです、平均すれば。これでは読んでいない本が増える一方です。買うだけならまったく意味がないように思えてなりません。有り余るほどのお金を残さないですむだけのことです。

いったいわたしはなにをやってるんでしょうか。
posted by nasty_habit at 23:02| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

進化って…

進化というものを否定する気はわたしにはない。ヒトはサルから進化したのだと理解もしている。だがもちろんサルはヒトになるために進化したのではない。かといってチンパンジーになろうとしたが誤ってヒトになってしまったといってるわけでもない。進化に目的などないんじゃないかなといいたいのだ。
 
人間には合目的性がある、一般に。好きな女性に告白するのはその女性とセックスしたいからだ。今の若者はセックスしたいから恋をしているといってもいい。合目的的である。

ヒトが合目的的にものを考えるのも進化の賜物なのであろう。かといって合目的的にものを考えるために進化したのだとは、とても考えられない。進化の結果、たまたま今そうなっているに過ぎないのではないかと思うのだが。

わたしがこういったことを述べるのは、前にこのブログでも紹介した「人はなぜ恋におちるのか」という本に次のような記述があったからだ。


わたしたちの実験に参加した男性は、視覚的プロセス、とりわけ顔に対する視覚的プロセスと関連した脳の部位が、女性とくらべてより活発になる傾向があった。

これは、若く、均整の取れた、そして繁殖能力の豊かな女性を目にしたとき、男性が恋におちる能力を高めるために進化してきたのだろうか?そうかもしれない。


そうではない、とわたしは思う。それはあくまでも進化の偶然の結果ではないか。

こういったものが世界の見方の違いにつながるのだろう。

進化にさえ何か目的があるのではないかと考える人は恋愛にも目的があると考えるらしい。「恋愛の究極の目的は、「特別な」相手との交配をうながすことなのだから」なんて書いているのだ。最近の若者はともかく、わたしは違う。「特別な」相手と交配したいから恋をするわけではなく、恋をするから交配したいと思うのだ。決して交配することが目的などではない。その証拠にほとんどのケースでわたしは「特別な」相手との交配に成功していない。わたしがまだ進化していないとでもいうのだろうか。
posted by nasty_habit at 17:48| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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