2018年04月15日

喉が渇いた

夜中に目が覚めた。トイレにいった。用を足し手を洗って冷蔵庫からビールを取り出して飲み干した。喉が渇いていたのだ。

喉が渇くということはきっと体が水分を欲しているということだろう。生理的な働きなのかどうかは詳しくないが、生命を維持するために水分が不足している状態なのであろう。水分が足りなくなると何らかのシグナルが脳に伝わり、それが契機となって、「喉が渇いた」と思うことになるのだ。

こう考えると、喉が渇くというのはえらく機械的なことなのだなと思う。喉が渇いて水を飲むというのはまるで機械のようだ。そこに自由な意志などないように思える。体が要求しているので無理矢理にでも水分を補給させられているようなものだ。

しかし、水にするかビールにするかは自由意思であるように思える。違うだろうか?あるいは、アルコールを欲するようなシグナルが、生理的な働きによって脳に送られているのであろうか。

だが夜中に目覚めたわたしはビールが飲みたかったのではない。飲みたいなんて思わなかったが、あえてビールを選んだのである。

これは明らかに自由な行為といえるだろう。

posted by nasty_habit at 19:23| 東京 ☁| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イライラ

イライラする。
俺の神経は崩壊しそうだ。

もうボロボロであるのは間違いない。
posted by nasty_habit at 11:10| 東京 ☔| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

苦悩

またまた苦悩が生じた。
苦しみがわたしに付きまとう。

イメージとしてはベートーベンみたいな感じだ。

つまり、ベートーベンほどの才能がなければ俺はどうにもならないということだ。

助けてくれ!
posted by nasty_habit at 10:59| 東京 ☔| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生きる喜び

こんな毎日では、些細なことに喜びを見いだすしかない。
幸いなことに、「こんな毎日」であろうとなかろうと、わたしの喜びはほとんど本を読むことにのみ見いだされるのだ。

あと、書くこと。特別な才能などはないかもしれないが、少なくとも書くことは出来るのだ。例えば歌うとなったらそうはいかない。わたしが歌っても、あれは歌ではないと自分でも思う。少なくともそこから喜びは得られはしない。カラオケなんかだと楽しい時間を過ごせるとは思うが、厳密にいえば、歌っていることそのものが楽しいわけではない。大きな声を出してストレスを発散させているだけだ。しかし書くことは違うのである。書くことには書くことだけで得られる喜びがあるのだ。なぜかは知らない。書くこととはキーボードを叩くことではない。キーボードを叩くことが楽しいのではない。なにかもっと別なものだ。

一番楽しいのが書くことだったなら作家になっていたかもしれない。(いまも実はあきらめたわけではない。もちろんこのブログに書いているようなことのみ書いているわけではない。ブログには書けないような恥ずかしいことを書いているのだ。)が、一番好きなのは本を読むことなのだ。何のために読んでいるのかもよく分からないがとにかく知識を得たいとかそんなのではない。ただ楽しいとしかいいようがない。

もっともっと、読みたいと思う。

読むことと書くこと、もうそれだけでいい。
posted by nasty_habit at 08:41| 東京 ☔| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月14日

以外な展開

今日はちょっと以外な展開である。
寝床を奪われた。

横になることができない。

今日はソファで寝るしかないか。

といっても、
家にソファはない。
posted by nasty_habit at 23:41| 東京 ☁| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする